アバウト
ストーリー
作・作曲・演出:高井良純
昭和初期の御堂筋、その道幅は6メートルの狭い道幅であった。
市の御堂筋調査係長・土岐俊介がカフェで関一(せきはじめ)市長の御堂筋拡張計画を話している。
「梅田から難波まで44メートル幅で?」「大阪のど真ん中に飛行場つくる気か?」人々は驚いた。
受益者負担金の支払いを要求された市民の中にみどうすじの拡張に反対する声が高まってきた。
しかも俊介の恋人愛子の母親も反対派に...。
俊介の仕事は難航する。昭和9年、大阪に室戸台風が襲来し、街は壊滅状態に陥った。
しかし大阪の人々は不屈にもソロバン片手に立ち上がる...。
やがて、北に南に、赤い灯青い灯が街を彩っていく”わが街のミュージカル”....。
初演 1983年10月19日
コメント
谷口博昭(元国土交通省近畿地方整備局長)
大阪の顔であるキタとミナミを一直線に結ぶメインストリート御堂筋、世界の主なメインストリートの潮流は、歩行者を一層重視する流れになろうとしています。今日、低速する大阪の再生にあたり、この御堂筋を人中心とした「にぎわいのある街づくり」へ、市民の参加のもと進めていくことが必要と考えています。
御堂筋を管理している国土交通省近畿地方整備局におきましても、御堂筋が市民に親しまれ、生活文化にあふれる道に生まれ変わるために何が必要なのか検討するため、今年2月に(平成15年時)「明日の御堂筋」作文コンクールを開催し、一般の方から御堂筋に対する思い出や、ステキな御堂筋にするためのアイデアを多数いただくことが出来ました。早速、皆様方からの貴重なご提案を参考にさせていただき、御堂筋のあり方を検討しているところです。
これからの街づくりについては、地域の方々との対話を重ねながら、「地域」と行政がお互いに力を合わせ、官民一体となった取り組みを行ってまいります。今回のミュージカル「御堂筋ストーリー」は、昭和初期の御堂筋の建設をテーマに大阪の復興をうたい、当時の大阪市長と大阪市民の姿などを紹介しています。大阪の再生が望まれるなか、建設当初の志を思い起こして戴き、これからの道づくりについて一緒にかんがえていく機会になっていくことを期待しています。
<平成14年10月12日大阪中央公会堂プログラムより>